私は当時、岩手県大船渡市盛駅の近くに住んでいました。津波が来た、あの大船渡です。
2021年2月に大きな地震があり、10年前の余震だと聞きました。折角なので、忘れないうちに書いておこうと思います。
写真データを探したら少し見つかりました。衝撃的な写真も含まれているかもしれません。ご注意ください。
あの日、私は大船渡に住んでいました。
そうです、津波が来た、あの岩手県大船渡市盛駅近くに住んでいました。

右の写真は、震災前の盛駅です。歩道橋まで歩いてきたのかな、数枚写真がありました。

当時住んでいた家から歩いて30分以上だったかな、ここまで。
あの日、映画を観に行こうと思っていたのですが、起きたのが昼近くになってしまい、そこから車を飛ばしても上映には間に合わないな、って事で家に居る事にしました。
丁度いろいろ終わって13時近かったかな。
その時に気仙沼に買い物に行こうかな、とも思ったのですが、当時から出不精だったので止めました。これが生死を分けたのかもしれません。
地震が来たのが14時過ぎ。家を出ていたら、丁度その時間の頃、気仙沼市内を走っていたことでしょう。私はこの世にはいなかった。確実に。
当日の写真は、ありませんでした。
ただ、凄い揺れで、壁に沿って置いていたベッドや勉強机が部屋の中央に集まる、扉着きの食器棚から食器が落ちる、テーブルの下に避難したものの、テーブルが左右に動いてテーブルの脚を掴むので精一杯、などこれほどまでに恐ろしいものかと感じました。
その後、津波が来て、家の駐車場まで波が来ました。家が少し坂の上に建っていたこと、私は高台に逃げて無事でした。しかし、坂の下のお店、公園、全て消えていました。
物凄く臭かった。泥ばかりだった。屋根の上にボートが載っていた。
夜は地鳴りがして、しょっちゅう揺れた、とても寒かった。凄く寒かった。
暗闇にずっと鳴ってるクラクション。印鑑を取りに行って近所の人が亡くなったとか、そういう話があちこちから聞こえてきました。
ラジオは何人死んだ、とか、とても酷い事になっている、とか、そんな事ばかりでしたね。
水を探して歩き回ったし、誰か知り合いがいないか学校を回りました。あんなに歩いたのは初めてだった。
あちこち歩いた。3日ほど、私は行方不明リストに載っていたようです。
地震が来てすぐに携帯の電波は繋がらなくなってしまい、ようやく消防隊の電話を借りて実家に電話。
その後、避難バスに乗ることが出来、なんとか東京に帰ってくることが出来ました。
バスを降りるときに、放射線を調べる装置?みたいなので調べられたりもしました。
逃げてきたらきたで、計画停電で大変でしたね。
ここで、5月に荷物を取りに戻った時の写真を載せます。


車窓から撮ったものです。大船渡か、気仙沼か・・。ここには、建物が沢山ありました。決して元からこんな広い道ではありませんでした。
何年も道を走ったのに、道が分かりませんでした。ここはどこの当たりなのだろう、さっぱり分かりませんでした。
いつもあった建物が、看板が、何もないのですから。
あれだけ通ったバイト先も、道が分からなかった。凄い、ショックだったな。あんなに走ったのに。
今は、海岸沿いに高い防波堤、防波壁を建てています。オーシャンビュー、なんて見えなくなりました。
一度、機会があれば、行ってみてください。あの一本松が不気味に残っています。
あの周りは白い綺麗な砂浜があって、とても静かで綺麗な所だったんですよ。
地震は、いつ来るか分かりません。皆さん、出来ることを、後悔しないように準備、行動していきましょう。
自分だけは、大丈夫なんてことは、ありません。
あの日から学んだこと・今していること
さっさと逃げる。それだけ
一番伝えたいのはこれです。
様子を見ない。写真を撮らない。「まだ大丈夫かな」と思わない。さっさと安全な場所へ逃げてください。
あの日、気仙沼に買い物に行くのをやめたのも、映画に間に合わないからと家にいたのも、ほんの気まぐれでした。そういう小さな判断が、生死を分けることがあります。
今、備えていること
震災を経験してから、以下のものを常に備えるようにしています。
- 水の備蓄
- 食料の備蓄
- 簡易トイレ
完璧でなくていいので、できるところから準備しておくことをおすすめします。地震はいつ来るか、本当に分かりません。
備えについて、詳しくはこちらの記事もあわせてどうぞ。
被災経験者が選ぶ防災グッズまとめ|役立ったもの・備蓄品・実際に買ったレビューまで
\大船渡のめかぶは美味しいよ/

